ヘミスフィア

──とある平日の朝、学校の廊下にて。


おはよう、おはようとあちこちで飛び交う挨拶は決して自分のものではないと決め込んでいた通称ダメツナこと綱吉は、自身を象徴するかのような蜂蜜色の髪を揺らして、いつものごとくぼんやりとした思考のまま廊下を登校していた。
もし自分に声が掛かるとしても、それは京子であったり獄寺や山本であったりとごく親しい人間だが、彼らは必ず綱吉の名前を呼んでから肩に触れたりなどして、自分を思考の海から引き上げてくれるのだ。
だから、完全に油断していた。



ぼすっ。
と突然顔やら胸やらに柔らかな衝撃があって、わぷ、なんて情けない声がでてしまった。朝独特の気だるさでぼーっとしていたのがいけない、完全に反応できなかった。誰かに真正面からぶつかってしまったらしい。


「す、すみませ……」


慌てて離れようと足の重心を踵に向ける。だがしかし、その一瞬の躊躇を狙ったかのように腕を引かれ、今度はバランスを崩すようにして真っ白なシャツに頬をうずめてしまった。
そしてはたと気づく。凛とした、花に例えれば沈丁花のような、香り。


「──雲雀さん?」


綱吉は、混乱の海からさっと意識を完全に現実へと戻し、自分を抱き込み髪に顔を埋める先輩──雲雀を呼ぶ。
返事はなくとも、耳元で聴こえた微笑は確実にその人の声だった。


「ど、どうしたんですか!もしかして具合が悪い、とか……」


それとも弁当の催促に、と綱吉の脳裏は一瞬にしてぼんやりから雲雀一色に変わる。
今日のメニューは確か…と若干焦りながら思い起こしていると、ぎゅう、とさらに抱き込まれ、違うんだ、と云われた。


「──綱吉不足」
「は?」
「綱吉の補充に来たんだ」


補充。
いったい俺の何を補充するのか、とシャツの触感に惚けながら思案する。しかし恋愛事には凄まじい鈍感さを発揮するのが綱吉その人、考えはまとまらなかった。


「、そうだ」


突如、背中に回された雲雀の腕の力が緩まる。
顔を覗き込もうと僅かに首を上げた刹那、肩を掴まれ、その時初めて黒曜石のような瞳と真っ直ぐに向き合い、黒く艶のある前髪が揺れ、それから。


「仕方ない、なんかまだ足りないからさ」


もうちょっと。
少しだけ声がかすれたかと思えば、既にその感覚は訪れていた。
むに、と、柔らかいものが唇に押し当てられる感覚。
つまりは、雲雀の唇の感覚。


「ん、んんむっ、!!?」


とろんととろけるようなおかしな感覚がして、綱吉は必死で雲雀にしがみつく。呼吸のタイミングすら知らない綱吉にとって、ただ一つできる行動はそれだけだった。頭がチカチカとするのは酸素不足かはたまた雲雀の緩い視線に射られた目眩か、とにかく、優しさの滲むようなキスだった。


「──っ、ふ」


ゆっくりと唇を離した雲雀は、にっこりと笑い。


「うん、補充完了」
「な………っ」


唇をおさえたまま後ずされば、背中に冷たい壁の感触があった。こんなあったかい日でも冷たいと感じるというなら、自分の体温はどれだけ上がったんだろう。
ばくばくと鳴る心臓、それを知ってか知らずか、雲雀はさも不思議そうな顔をして(しかし不敵な笑みは忘れず)再び至近距離まで近づく。
その距離にして、鼻先数センチメートル。


「綱吉の頭の中は今、僕でいっぱい?」
「、」
「よかった。僕も君でいっぱいだ」



──鐘が鳴った。

僕は戻るからまた昼休みにね、と雲雀は口元に微笑を浮かべて踵を返した。床を鳴らす足音が遠ざかっていき、綱吉の背はずるずると壁を滑り落ちる。
通行人はちらちらと綱吉を見てはいるが、誰も声をかけなかった。いや、かけられなかったの方が正しい。
綱吉があまりにも、真っ赤な顔をしているから。


「──っなんなんだ、」


小さく呟くと同時に体の力が抜けて、どさっと完全に腰が落ちてしまった。
雲雀が最後に一瞬だけ浮かべた、柔らかい笑みの意味がわからず、本日最初の授業を欠席に迎える。








ヘミスフィア

(彼は僕の半分、そうでしょう神様)

日参している携帯サイトMs.flangeの蒼木ユキコ様宅の三周年記念フリーのヒバツナ!あーもう!ぐっじょぶ!

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